Terror and Religion
Op-Ed: © By Vel Nirtist
2005年3月
三世紀半ほど昔、内戦で苦しむイギリスが国王チャールズ一世の処刑に向かって動いていたとき、ジョン・ミルトンは処刑に反対する者は「外からの慣習と盲目的な偏見という二重の圧政の捕虜であり、理性の力がない」と訴えました。この政治的見解に同意してもしなくても、私たちの思考の不合理さについてのミルトンの評価は正しいでしょう。
当然ながら、思考の過程では偏見のない心を持つことが必要です。偏見がなければ、あらゆる選択肢を考えることができるからです。慣習や信仰を侵害するからといってアイディアをタブー視すれば、問題の解決策をつぶしてしまいます。現実にとって、妥当性に関する人間の意見など何の意味も持ちません。
ミルトンの時代、すなわち学識者たちが天文学をめぐって議論を戦わせ、惑星の変則的な動きを説明するためのさまざまな仮説が出ていた頃も同じでした。急速な解決策が求められていましたが、条件がありました。宇宙の中心である地球の周囲を、天体がまわり続ける必要があったのです。他のどのような天体配置であっても、万物の壮大な計画において人間が中心であるという深く根付いた観念に大打撃を与えてしまいます。それを考えると、ガリレオ・ガリレイを黙らせるために宗教裁判にかけたのは当然のことだったのです。
私たちが生きるこの時代でも同じことが言えます。デリケートな感情をあまりにはっきり示せば多くの命が失われると考えて、できるかぎり「セックス」について言及せずにエイズが広まるのを防ごうと戦っている人たちがいます。
そして現在、私たちにはもう一つの大きな挑戦があります -- テロリズムと宗教的暴力です。
「宗教的暴力」は二つの要素から成り立っています。私たちが義憤をもって拒否し糾弾している「暴力」、それから「宗教」です。ここで、私たちは薄氷の上を歩む危険な状態にあります。なぜなら、宗教とは私たちのアイデンティティー(独自性)と文化の核心であり、批判されれば心の奥深くまで傷ついてしまうからです。宗教的暴力を分析するには、地球を中心に置いたまま天体の動きを説明するのと同じようなデリケートさが必要です。宗教的暴力は、宗教自体を貶めずに説明する必要があります。
幸運なことに、これは簡単なことです。宗教が間違っている?いいえ、そんなわけがありません!テロリズムの原因は宗教そのものではなく、宗教の悪用にあります。
これはすばらしい解決方法です。次のような事実を説明するには不十分なのが残念です。
事実1:オサマ・ビン・ラディンと彼の一族は2001年9月11日にイスラム教を悪用したと西洋側から言われましたが、彼らはすぐに悪いことをしたと気づくべきでした。しかし、悔い改め軌道修正をするどころか、オサマ達はその後も計画を激しい勢いで進めていったのです。私たちが言う「イスラム教の悪用」とは、彼らにとって衰えることのない「本当の信仰」です。
事実2:宗教を擁護するために暴力的な行為を行ったのは、オサマ・ビン・ラディンだけではありません。こういった人々のリストの長さは傑出しており、モーゼ(彼の命令により、黄金の牛を崇拝した3,000人のユダヤ人が殺された)、聖アウグスティヌス(成人の洗礼を支持したヌビア人キリスト教徒を、降伏するまで罰した)、マルティン・ルター(何千人もの「魔女」がはりつけにされ焼かれた)、ジョン・カルヴァン(数多くの「異教徒」を火あぶりにした)などが含まれています。
この論理に従うと、モーゼ、聖アウグスティヌス、マルティン・ルター、ジョン・カルヴァンは宗教を悪用したのです。これにどれだけのユダヤ教徒、カソリック教徒、プロテスタント教徒が同意するでしょうか?
もしかしたら、これには「宗教の悪用」とは違った何かがあるのかもしれません。おそらく、私たちが理性に従うなら宗教的暴力の原因が何かを理解できるのでしょう。しかしそのためには、文化的な大タブーを破って、「宗教の悪用」ではなく宗教自体 -- 特定の意見が神の意志を示すという考え方 -- が暴力の原因となっている可能性について真剣に考えなければなりません。私たちは慣習と盲目的な偏見という二重の圧政に打ち勝つ、内なる強さを見つけられることでしょう。
過去にも成し遂げられたことです。最終的に、地動説は認められたのですから。
Vel Nirtist は「The Pitfall of Truth: Holy War, its Rationale and Folly(真実の落とし穴:聖戦、その原理と愚かさ)」の著者です。
発行者 注:暴力の原因を探すには、すべての石をひっくりかえさなければいけません。しかし、宗教やその他の人類の努力を悪用するのは、独裁主義者的パーソナリティー(Authoritarian Personality)から来る過激主義(Extremism)であるというのが私たちの立場です。一神教の本質は独裁主義であり、そのためにとりわけ悪用に対して脆弱です。また、モーゼとその子孫たちが過激主義者であったため、彼らの見解に合う一神教を確立したか、あるいは後に自分達の力を拡大させるために利用したのかもしれません。
掲載日 2005年8月4日 by RoadToPeace
Translation by Kuhara
Posted by Kazuko on Thursday, April 12, 2007.
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